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A.F.M.活動報告

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第7日目最終日 #2

ヴィア・ドロロサ→聖墳墓教会
 ~過越しの祭りについて~

●ヴィア・ドロロサ:VIA DOLOROSA

体も温まって、一息ついた所で、今度はイエスがいよいよ十字架にかけられる時に、十字架を背負って歩いた、という道、ヴィア・ドロロサを歩きました。しかし時代によって道順が変化しているそうなので、確かではありません。今のこの道は計14のステーションがありますが、聖書にあるのは9つ、残りは伝承だと言うことで、19世紀に確定したそうです。

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私たちのイメージだと十字架を担いで歩かれた、というイメージだけがありますが、実は十字架の横木だけをローブで縛られた状態で処刑場まで歩くのが、当時のローマのやり方だったそうです。
情けないですが、3年も経ってしまって私の記憶もおぼつかず、ヴィア・ドロロサをどんな順番で歩いたかも定かではありませんが、たぶん最初に入った教会はこちら↓だと思います。

P1010382.jpg P1010384.jpg

●むち打ちの教会

次に訪れた所は、イエスがむち打たれた場所に建てられた教会でした。
(鶏鳴教会 で訪れたむち打ちの場所跡や、穴ぐらは、イエスが実際におられた場所ではなかったようです・・・)

P1010390.jpg ←ここでイエスはむち打ちを受けた?

●クレネ人シモンが、十字架をかわりに背負った場所

そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、
いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、
むりやりに彼に背負わせた。(マルコ15:21)


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↑「ここでイエスが倒れた」というサイン ↑こちらには"クレネ人シモン"という文字が記してあります

毎年、過越し祭りのために何十万というユダヤ人がエルサレムに上ってきたそうで、シモンもその一人でした。クレネというのは、北アフリカにあった町だそうで、シモンはこの時期行われている過越しの祭りのために、クレネから来ていたユダヤ人だったんです。イエスは先にむち打ちを受けて、肉体的な力がほとんど残っていなかったために、十字架を途中までしか担ぐ事ができませんでした。そこでその場に居合わせたシモンが、むりやり代わりに背負わされた、という事が聖書に記されています。また、この事によって彼と、またその家族もイエスを信じ、ローマの初代教会を建て上げた重要な人となったそうです。(ローマ書の16:13には、彼の息子に当たるルポスの名が記されています)シモンは、この十字架を背負い、また十字架にかけられたイエスの姿を見て、神の栄光に触れたのでしょう。

●おみやげ屋がひしめく、狭い商店街

途中、道幅の狭さとは裏腹に、おみやげ屋さん(ほとんどがアラブ人経営のお店でした)がずらっと両側に続く、人通りの多いかなり混雑した道を通りました。ここももちろんヴィア・ドロロサの一部です。ここをぬけると聖墳墓教会にたどり着けます。この道に入る前に厳重な注意がありました、ここはスリが多くいる道だから、かばんは必ず肌身離さず持つ事、ツアーメンバーはちゃんと固まって歩き、絶対にはぐれないようにする事、ただひたすら歩いて下さい、と言われました。私もかばんを覆うようにジャンバーを来て、チャックを閉め、ただ黙々と歩きました。なので、ただ人が多かったのと、今までのエルサレムの雰囲気とは別世界の異様な雰囲気、というのしか覚えてません。(そういえば、この前日、私は情けなくもスリにあってしまったのでした。しかし奇跡的に、中川先生が交渉して下さったおかげで、お金は全部戻ってきました・・・本当にスリって巧妙です)

P1010394.jpg ←この道を無事に越えるぞ~!と、気を引き締め、いざ出発。

●聖墳墓教会~いよいよ、ゴルゴタの丘とご対面

商店街を抜け、ちょっと広いお庭のような場所に出ました。ここに聖墳墓教会があります。この教会は、ゴルゴタの丘の上に建てられた教会だそうで、いくつかの教会が一緒になって管理している、という事でした。中は、結構暗い感じで、人は結構多かったように思いますが、以前なら入るだけでも何十分も待たされるような事が普通だったようです。今回は比較的スムーズに中を回る事ができました。ここには他にも、イエスが十字架で息を引き取った後の死体が置かれた、とされる石や、イエスの体を収めた墓の跡もありました。

P1010398.jpg ←これがゴルゴタの丘の一部だ!

聖書の記述から、てっきり「ガイコツ」のような形を想像していましたが、結局ほんの一部しか見る事ができない状態ですから、想像とは全然違いました。後から学んだ事ですが、そこは十字架刑を執行する場所であったことから、そのような名前がついただけであって、形は関係ないとか。確かにそうですよね。

●十字架上でも戦われたイエス

そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。
(マルコ 15:23)


これもまた当時ローマが行っていた習慣で、釘を打ち込む前に、死刑囚にこの混ぜ物のぶどう酒を飲ませました。これは痛みを和らげるための麻酔効果があったそうです。しかしこれを飲むと意識がもうろうとしてしまいます、イエスは最後の戦いが残っているために、このぶどう酒を拒否しました。それは同時に、肉体的痛みをさらに強く味会わなくてはならない事になります。

十字架上のイエスに向かって、祭司長や律法学者、兵士やまわりの人々が、

「十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」(マルコ 15:30)

と「ののしった」と書かれてあります。最後の最後まで、悪の攻撃は続きました。ここで十字架を降りたら、贖いの計画は不完全で終わってしまいます。・・・しかしイエスはそのような言葉には応えず、むしろ人々のために祈り、ご自分の計画を最後まで成し遂げたのでした。

当時、十字架刑を行う際に、一人につき4人のローマ兵が付きました。また刑に処せられた人は、その執行している兵士たちに向かって、やじったり呪いの言葉を発したりして騒ぐのが普通で、あまりにもうるさく騒ぎ立てる人は、その舌をちょん切ってしまう事もあったそうです。しかしイエスは騒ぐ事なく、呪ったりしないで、むしろその兵士や周りの人々のため、弟子のために祈りました。そんな姿を見て、先程出てきたクレネ人シモンは、おそらくイエスが神の子である事を信じ、信仰を持ったのでしょう。

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↑これは、イエスの体を十字架から降ろし置いた、とされる石だそうです。みんな代わる代わる、その石の上に香油を注いだり、手を置いたり、口づけをしたりして祈っていました。私も手を置いて、イエスが私の代わりに十字架にかかって下さった事を感謝して祈りました。

P1010403.jpg ←暗くて分かりにくいですが、イエスのお墓があった、とされる場所です。

●過越しの祭り

この祭りは、聖書の時代から変わらず、ずっと続いているユダヤ教の祭りで、出エジプトの出来事を思い起こさせるもの、として神から定められたものです。出エジプトの記述を見ると、子羊の血によって神からのわざわいから民を守った事が記されています。ちょっと長いですが、聖書の言葉を引用します。

イスラエルの全会衆に告げて言え。
この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。
あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。
・・・・
そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、
その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。
・・・・これは主への過越のいけにえである。
その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、
エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。
わたしは主である。
あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。
わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。
わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。
あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、
代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。
(出エジプト 12:3~14 )


このストーリーは映画にもなっていますから、ご存知の方も多いでしょう。エジプトの奴隷となっていたイスラエルの民を、エジプトから約束の地へ出発させるために神はモーセを立てて、民を去らせるように、とエジプトの王パロに交渉します、しかしパロは断固として断り続け、その結果、神はエジプトに10の災いを下しました。最後の災いがエジプト全土の、人から家畜にいたるまでの長子の命をうばうことでした。この災いに会わないために、神は上記のような事をイスラエルの民に行わせたのです。そしてイスラエルはエジプトから脱出できました。

この出来事を覚え行うのが「過越しの食事」(金曜日の夜に行われます)であり、「祭り」(土曜日の朝から始まります)です。イスラエル人(=ユダヤ人)に災いが起こらないように、そしてエジプトから脱出して神から与えられた約束の地へと出発するために、各家庭で小羊がほふられ、その血が神の民である事のしるしとなりました。それを神は「代々守るべき永遠のおきて」と定めました。これは神が定めた、神の贖いの方法でした。

●過越しの小羊=神の小羊?

しかし別の角度から見ると、出エジプトの出来事は、イエスによる罪からの救いをあらかじめ現していた事、とも言えるそうです。過越しの祭りでは、第一日目:土曜日の朝 の午前9時に過越しの小羊が神殿でほふられました、この小羊は、特別な犠牲の動物で、民全体の罪の贖いとして年に一度、捧げられるものでした。そしてイエスも十字架についたのが午前9時だったのです。イエスは自ら、神の小羊としてほふられるために、その時間を選ばれたのです、しかもイスラエルの民だけではなく、全人類のために、ただ一度、捧げられたのです。ただイエスが死ぬ事が救いなら、他の時に死んでも良かったはずですが、神の摂理で、過越しの小羊としてほふられるために、この時の、この時間でなければなりませんでした。

そして、過越しの小羊とは、ほふられた後は一本たりとも骨を折っては行けない規定になっています(出エジプト12:46)、ですからイエスの骨も折られる事はありませんでした (→第6日目 #5 ”すねの骨を折る?” 参照) 。結局、最初から最後まで、神がセッティングされた十字架だった、それは、イスラエルの民だけではなく、全人類が贖われるためのいけにえの十字架であった、のです。・・・神の計画は私たちの想像をはるかに超えています。人から出たものではない、神から出たものって、常に私たちの知性や理性を越えますね。

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  1. 2001/03/24(土) 04:17:10|
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Gospel Choirを指導して、早いもので丸12年が経ちました。まだまだ成長の足らない私ですが、精一杯みなさんと一緒に歌って行きたいと思います。日本のGospel Choir、がんばろう~~!

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