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A.F.M.活動報告

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第6日目 #4

鶏鳴教会(その2)~むち打ちについて

●むち打ちについて

ここでむち打ちが、どれだけ苦しいものであったのかについて触れてみます。まずむち打ちの刑は、ユダヤ議会でも、ローマ議会でも使われていた刑罰です。しかしこの二つは大きく異なります。

・ユダヤ刑罰のむち打ち
ユダヤで使うむちは、木の取っ手に短い革のむちでできたもので、叩く回数も限られています。モーセの律法によると、
「四十までは彼をむち打ってよいが、それ以上はいけない。それ以上多くむち打たれて、あなたの兄弟が、あなたの目の前で卑しめられないためである。」(申命 25:3)
と、40回までに定められており、ユダヤ教は厳格ですから、万が一、数の数え間違えをして40以上になってしまわないように、39回まで、と決められていました。また叩いてよい場所も背中だけに限られており、非常に痛いですが、この刑によって死ぬ事はありません。

・ローマ刑罰のむち打ち
ローマで使うむちは、とても長い革ひもでできており、一度打つと体を回り込んで痛めつけられます。その革の先には金属やガラスの破片、動物の骨がついていて、それで叩かれると皮が剥け、筋肉も割けてちぎれ、飛び散ります。また長いため、背後からたたかれてもそのむちは胸や顔にまで到達し、全身ボロボロ、顔も見分けがつかないほど張り裂け、膨張してしまいます。さらに数に制限がないため、死に至る事があります。昔の文献を見ますと、このむち打ちを受けた人の顔は、その家族でさえも見分けがつかないぐらいに変形する、書かれてあるそうです。


イエスはこのローマのむち打ちを経験されました。ここで旧約聖書のキリストについての預言、
「多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、
その姿も人の子らとは違っていた。――」(イザヤ52:14)

という言葉の通りになったのです。

P3230328.jpg ←この形の十字架を「エルサレム・クロス」と呼ぶそうです。

●むち打たれた後も、さらに拷問は続きます

それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。
そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。
それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。
そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。
「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」
また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。
こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、
十字架につけるために連れ出した。(マタイ27:27~31)


「神の子だと言って、神を冒涜した」という告訴理由を聞いていた兵士たちは、イエスに緋色の上着を着せて王に仕立て上げて、からかっています。また「いばらの冠」のいばらのトゲは鋭く(特にイスラエルのものは触るだけで指を切るほどだそうです)、むち打ちのあとですから、さらに痛みが増した事でしょう。その状態で頭を叩かれるのですから、拷問に他なりません。その上、兵士の全部隊と言ったらかなりな数でしょうが、その彼らがこぞってつばきをかけたのですから、体中つばだらけになってもおかしくありません。さらに、むち打ちでボロボロになった顔を平手で殴り(ヨハネ19:3)、さんざんからかってから、上着を脱がせました。血だらけになった体に着せられた服は、ものの1時間もすれば血が乾いて、体にくっついているはず、それを脱がせたのですから、どれだけの痛みを伴うものだったでしょうか。もう想像をはるかに超えた苦しみだったでしょう。

P3230336.jpg

(いばらの冠について)
いばらを聖書的に見ると違う見方ができます。創世記に出てくる人類最初の人・アダムが神に背いてエデンの園を追放された時、地にいばらとあざみが生じました(創世記3:18)。いばらは、そのアダムの罪を象徴しています。イエスはアダムの罪=原罪と言われます をもご自分の身に背負って下さった、ととらえる事ができます。

そこまでになったイエスを見ても群衆は「十字架につけろ!」と叫び続け、ピラトは最終的な判決を下さなければなりませんでした。

ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した。
すなわち、暴動と人殺しのかどで牢にはいっていた男を願いどおりに釈放し、
イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。(ルカ 23:25)


●神の摂理

ピラトはイエスを釈放させたい、とその妥協案としてむち打ちを与えましたが、結局イエスは、十字架にかかる事になりました。当時のローマの法では、十字架にかかる前にむち打ちの刑を与える事は違反だったそうです。しかし全体を通してみると、イエスは最初から「むち打たれ、十字架にかかり、3日後によみがえる」と弟子たちに何度も伝えていました。最初から神の摂理が働いて、このような結果になったのですね。

もう一つ付け加えたい事があります。ユダヤ人はこれまでに何度も「イエスを殺した民族」として迫害されてきた歴史がありますが、ここでもわかるとおり、ユダヤ人には死刑を与える権利がなかった、実際に刑を実行したのはローマ人であり異邦人なんです。ユダヤ人も異邦人も一緒になってイエスを殺しました。ですからユダヤ人だけが責められるのは、論理的に間違っている事が分かります。

●イエスの、地上最後を過ごした穴ぐら

ここで現実世界に戻り、もう一度、鶏鳴教会を見てみましょう。次に訪れたのは、独房です。

あなたは私を最も深い穴に置いておられます。そこは暗い所、深い淵です。
あなたの激しい憤りが私の上にとどまり、
あなたのすべての波であなたは私を悩ましておられます。セラ
あなたは私の親友を私から遠ざけ、私を彼らの忌みきらう者とされました。
私は閉じ込められて、出て行くことができません。(詩篇 88:6~8 )


P3230330.jpg P3230329.jpg
↑むち打たれた後に、入れられた独房  ↑天井部の穴

むち打ちの刑を受けた後、十字架にかかる前に入った独房です。今でこそ、階段がついて、人が入れるようにきれいに作られていますし、照明もつけられていますが、当時は真っ暗で、粗末なものだったでしょう。上に見張り窓がついている他は、どこからも逃げられないように出口はありません、天井部にある穴から、ヒモでつるして、つり下げて入れた、と言います。なんとイエスは、地上生涯最後の時間を、こんな独房で過ごしたのです。ここでも、上記の旧約聖書・詩篇の言葉のとおりになりました。

私は個人的に、ツアーの中ではこの独房が一番印象に残っています。人々のために教え、病を癒し、奇跡を起こし、人々に尽くしてきたイエスが、最後にはみんなから「イエスを十字架につけろ!」と言われるまでに蔑まされたんです。神の子であるのに、そのことをひけ散らかす事なく、口を閉ざし、十字架までの道を一人で耐えられた、最後には誰の手も届かない、究極の孤独の中で苦しまれたんです。それはまるで、私の痛みや傷、孤独を代わりに背負って下さっているかのように思えました。独房の壁に手を置いたら、「わたしが先に、あらゆる苦しみやさげすみを味わったのだから、あなたはもう味わう必要がないんだよ」と言って下さっているかのように感じて、涙があふれて止まりませんでした。

しかし、イエスの十字架への道はこれから始まります。
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  1. 2001/03/23(金) 03:45:44|
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Gospel Choirを指導して、早いもので丸12年が経ちました。まだまだ成長の足らない私ですが、精一杯みなさんと一緒に歌って行きたいと思います。日本のGospel Choir、がんばろう~~!

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