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A.F.M.活動報告

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第4日目 #2

荒野の幕屋(原寸大のレプリカ)

●荒野の幕屋:The Wilderness Tabernacle

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聖書に出てくる「幕屋」(出エジプト記26章参照)が、現実に見れるとは、なんという祝福でしょうか!ここの管理者のお話では、これは今の人たちに対する教育が一番の目的である、と言っておられました。確かに、聖書で読むだけでは全然イメージがわきませんが、実際に見てみるとわかりやすいですよね。これはもちろん今の時代に、聖書を元に、今ある材料で再現したもの(しかも原寸大)です。今まで食わず嫌いで読めなくて、ほとんど内容の分からなかった聖書の記述が、いっきにクリアになりました。

荒野の中にこの幕屋がポツンと立っているような感じですが、荒涼とした所から幕屋に入ったとたん、まったく別世界になるんです。不思議な空間でした。今ある幕屋の数キロ先にはヨルダン川が流れていて、モーセ率いる民もヨルダンを渡ってすぐの場所に幕屋を作ったはずなので、ロケーションも聖書の時代とほぼ変わらないはずであろう、との事でした。また、この幕屋を作るために神は「アカシヤ材」を用いるよう命じていますが(出エジプト記26:15など)、アカシヤの木以外このような砂漠にはないからだそうです。

●幕屋=イエスをあらわす原形

エジプトを脱出したヘブル人たちは、この幕屋によって神とともに歩み、またどこへ行くのもこの幕屋を携えてゆきました。だからとても簡素で、シンプルで、持ち運びしやすい作りになっています。(インマヌエル=神は私たちと共におられる神、であるのは、この時代から変わらないことがわかります)
神がモーセを通して「この幕屋を作りなさい」と命じられた意味は、民の中に神が臨在できる場所を作りなさい、ということです。また、これは全てイエスを表しています。この旧約の時代は、幕屋に臨在して下さった神が、新約である今は、主は私たちひとりひとりに住んで下さっているのです。素晴らしいです。

●犠牲の動物のほふり場

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外側の白い囲いと、中央の聖所の間には、いろいろな儀式用の道具(といっても、どれもとても大きい)が設置されていて、これはその一つ、犠牲の動物を捧げるための、ほふり場です。そこには動物の首を固定するための輪っか、そしてほふったあとに血を抜くためにぶらさげる大きな鍵状の金具が取り付けてありました。民は自分の犯した罪のために殺される羊ややぎの鳴き声を聞いて、どんなに罪悪感にとらわれたでしょう。自分のために殺されるのですから。

●いよいよ、聖所の中へ

聖所は本来、選ばれた祭司(神と人を取り次ぐ役割の人たち)だけが入るのを許されている場所です。ちょっと緊張しました。入ってみると、中は電灯もなにもないため、真っ暗です。持ち込んだ懐中電灯で照らして入りました。そして中には燭台、パン台と香を焚く台と、ただ平然と設置してありました。

P3210200.jpg ←燭台(出エジプト25:31) 思ったより大きかった。

当時ももちろん電気なんかありませんから、まっくらな聖所の中で唯一の光を放つ燭台だったのでしょう。イエス様はご自身を「わたしは世の光である」とおっしゃったのは、この燭台のように聖所の中を照らす光、この世の光と、ここから言い表されたのです。

P3210201.jpg ←供えのパンのための机(出エジプト25:23)

イエスはご自身の体を「いのちのパン」とおっしゃったのは、ここからです。

P3210202.jpg ←香をたく台(出エジプト30:1~5)

聖所の一番奥に設置してありました。聖書によると「主の前の常供のささげ物」です。ここからの煙は、私たちの祈りが主の前に立ち上っていることとつながります。(仏教のお線香にちょっと似てる気がするんですが、もしかしたらここから来てるのかな?)

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●いよいよ至聖所へ!「贖いのふた」とご対面

聖所の奥に「至聖所」:この時代はモーセしか入れなかった場所です があり、幕で仕切られていました。聖書の時代でも至聖所とは、祭司の中の長、大祭司が1年に一度しか入ることのできない所、1年の全ての民の罪をあがなう場所として神聖にあつかわれるべき所なので、一般の人は今でも入ることができません。そのかわり、表にまわり、ガラスの窓から至聖所の中を見ることができます。ここで、私の長年の疑問が解消されました!

P3210206.jpg ←これが契約の箱「贖いのふた」だ!(出エジプト25:17)

「契約の箱」:モーセが神様から賜った十戒の書かれた岩の板を保管した聖なる箱、映画インディージョーンズに出てくる"アーク"ですね が納められているのですが、その蓋が「贖いのふた」で、上にふたつの「ケルビム」が乗っている(出エジプト25:19)、と聖書に書いてあるのです。私は個人的に、このケルビムがどうしても想像がつかなかったのですが、やっと現物を見ました!それはなんと天使だったのです。2体の天使の翼が内側に向けて広げられています。「このケルビムの間からあなたに語る」と神はおっしゃいました(出エジプト25:22)。

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↑羽の中には人の形が!ふたりとも両手で顔を覆っていました。神と直接顔を合わせると死んでしまう、という所から来ているのでしょうか。

いや~、感動致しました。この天幕、聖所、至聖所で構成された幕屋、とっても簡素な作りですが、ここがあったからモーセとイスラエルの民は神と共に歩むことができたんですね。しかも彼らは神の御手によってエジプトから脱出して、一民族(何万人規模でしょう)が、ある日突然、全く違う環境に置かれて歩み続けたわけですから、人の手によって歩むのは不可能、やはり神がいつまでも離れず、日々養い、守って、共にいて導かれたんだ、ということがあらためてわかりました。
また、幕屋の作りや聖所にある道具の一つ一つの意味が、すべてイエスの中に見られる、ということが、説明されて改めてわかりました。神の摂理とはここでも永遠に変わっていないんですね。

●かまくら?じゃなくて、羊の休憩所です

P3210229.jpg ←いきなり、ぼつんとあらわれました。

幕屋近くに、こんな面白い形の岩穴がありました。これは夜、放牧をしている羊を外敵から守るために入らせる場所だそうです。・・・実はイエスが生まれた時も、ベツレヘムのこのような場所で生まれたであろう、ということです。

ルカの2章を見ると、天使が羊飼いたちにあらわれ、イエスが生まれたことを告げます、その赤ちゃんは、1. 布にくるまって、2. 飼い葉桶に寝ている、それがしるしだ、と言いました。

・2番目のしるし:まず飼い葉桶がある場所、と言えば、普通の人家ではなく、家畜小屋を見ればいいのだ、という事が分かります。当時はこのような岩穴を家畜小屋として使っていましたから、羊飼いたちはどこにどのような岩穴があったのかがわかっていたはずです。
・1番目のしるし:当時、このような岩穴は、人が死んだ遺体を一時的に置いておく場所としても使われており、ある岩穴ではその死体をくるむための布を貯蔵してあったのだそうです。
※なんとイエスは生まれたばかりで、死体をくるむための布にくるまれたのですね。これはイエスが死ぬために生まれてきた、ということを象徴しているのだそうです。

この2つのしるしをよく知っているのは、普段仕事でこの岩穴を使ってた羊飼いたちです、彼らはそれを聞いて「どこどこの穴に違いない!」と、捜し当てた(ルカ2:16)んですね。神はここへ導くために、家畜小屋(岩穴)に詳しい羊飼いを選び、まず一番に知らせた、というわけですね。

いずれにしても、今までイメージしてきた聖書とはだいぶ違うな~、というか、全然知らなさ過ぎ!というのが率直な感想です。
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  1. 2001/03/21(水) 02:22:58|
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Gospel Choirを指導して、早いもので丸12年が経ちました。まだまだ成長の足らない私ですが、精一杯みなさんと一緒に歌って行きたいと思います。日本のGospel Choir、がんばろう~~!

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