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A.F.M.活動報告

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無条件の愛とは言うが…

2005年6月に配信されたハーベストタイムのメールマガジンでは、
とても基本的な神様の愛についてメッセージされていましたので、お知らせします☆

このようなメッセージは、どなたでも配信申し込みできます。
ご興味のある方は、こちらまで!
http://www.harvesttime.tv/
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 お元気ですか。中川健一です。
 今年も早6月です。先月、私の部屋の窓から見える竹林と アジサイのことを書き
ました。海外にお住まいの方々には、 このような日本の情景が懐かしく感じられる
そうです。 そういう応答のメールをいただきました。 Eメールで世界中に情報発信
ができる時代になったとは、 まさに驚異的なことです。それとともに、アナログ的
な、 心を和ませるものが失われつつあることも事実です。正気を失わないためにも、
アナログとデジタルのバランスを崩さないように注意したいと願っています。
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■ 最近考えたこと「無条件の愛とは言うが…」

 ある視聴者の方から、次のような質問を受けました。
 「楽しみに、よく番組を観ています。先生がメッセージの中で、 『神様の愛は、
無条件の愛です』と語っておられましたが、 私共の聞き間違いだったでしょうか?
聖書のどこに、 『無条件の愛』と記されてあるかを教えてください。立ち返るなら、
悔い改めるなら、聞き従うなら、etc、全て条件付きのように思うのですか・・・。
求道中ですので、よろしくお願いします。59歳、無職、男性」とありました。

 非常に重要な質問ですので、メールマガジンでお答えしたいと思います。

1.聖書のメッセージを短く要約すると、「人に永遠の命を与えるために 神がお立
てになった計画」と表現することができるでしょう。その前提になっているのは、
人は神に反抗し、滅びに向かって進んでいるということです。
「罪から来る報酬は死です」(ローマ人への手紙6:23)とありますが、 ここでい
う「死」とは、「霊的死」と「永遠の滅び」を含む概念です。 その根底にあるのは、
「神との分離」です。

2.人が神の前に立つ方法には、2つのものがあります。
(1)自らの義や業をもって神の前に立つことと、
(2)神の義をもって神の前に立つことです。
もうお分かりのように、(1)の方法では、私たちは裁きを受けるしかありません。
私たちの生活や人格のどの部分を取っても、 神を満足させるものは何一つないから
です。私たちが永遠の命を持つためには、 神の義を持って神の前に立つしかないの
です。

3.イエス・キリストは、「神の義」を私たちに提供するために 地上に来てください
ました。罪なき生涯を送り、最後は十字架上で呪いを受けて 死んでくださいました。
それは、罪人が受けるべき呪いでした。また、 三日目に復活され、死後の命が現実
にあることを示してくださいました。 キリストの復活は、死とサタンに対する勝利
でもありました。

4.イエス・キリストがしてくださったことは、私たちへの福音(良い知らせ) とな
りました。キリストは私たち罪人が神の前に立てるように、 「神の義」を用意して
くださったのです。
エペソ人への手紙2章8節には、次のようにあります。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。 それは、自分自身
から出たことではなく、神からの賜物です」。
ここでいう「恵み」とは、受ける資格のない者に神が一方的に 与えてくださる愛の
ことです。つまり、私たちは愛される価値や資格はないのに、 一方的に愛されたの
です。このような神の愛を、「無条件の愛」と言います。 ギリシア語では、「アガ
ペー」の愛です。

5.では、「信仰によって救われる」とはどういうことでしょうか。 信仰とは、救
いのための条件ではありません。信仰とは、 無条件で差し出された神の愛(福音の
メッセージ)を受け取ることです。
聖書の中には、条件付きの契約というものがあります。シナイ契約とか、 モーセ契
約とか呼ばれるものがそれです。条件付きの契約では、 もしその契約に違反すれば
神の裁きに遭います(この裁きは、 神が契約の民を訓練するためのものでした)。
しかし、 創世記12章に出てくるアブラハム契約は無条件契約ですし、 イエス・キ
リストを通して結ばれた新約もまた無条件契約です。つまり、 私たちの側の違反に
よって破棄されるものではないということです。

6.ヨハネの福音書3章16節には、こうあります。「神は、実に、 そのひとり子
をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、 ひとりとして
滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。 ここには、神の責任と、人間
の責任とが書かれています。
(1)神は、ひとり子を犠牲にして、永遠の命に至る道を開かれました。
(2)人は、御子イエスを信頼することによって永遠の命を受け取ります。

7.最後に、私たちの救いは、最後まで恵みによることを覚えたいと思います。 私
たちは、恵みによって罪赦され(義認という)、 恵みによってキリストの似姿に変
えられ(聖化という)、 恵みによって完成されます(栄化という)。
 この点について、詳しく学びたい方は、 ロマ書メッセージシリーズ をお聞きくだ
さい。
 ぜひあなたも、神が差し出された救いを受け取られますように。それが、信仰です。
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  1. 2006/04/14(金) 16:08:47|
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Gospel Choirを指導して、早いもので丸12年が経ちました。まだまだ成長の足らない私ですが、精一杯みなさんと一緒に歌って行きたいと思います。日本のGospel Choir、がんばろう~~!

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