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「イエス・キリスト」という名前について #2

「確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、
敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。
だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」
(ルカ10章19節)
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その1に引き続き、今回もイエス・キリストの名前についてレポートします。イエスの名前には「天においても、地においても、いっさいの権威」が与えられている、またその権威が、イエスを主と信じた人にも与えられる、ということを学びました。それでは、それを実際にどのように用いたら良いのか、聖書の記述を見ながら考えて行きましょう。
※その2では、すでに信仰を持った、よりクリスチャン的な内容になってます。ご了承下さい。
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●名前の権威と、それを信じる信仰が奇跡を起こす
ペテロとヨハネは午後3時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のきかない男が運ばれてきた。・・・彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。・・・すると、ペテロは、「金銀は私にはない。私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり・・・歩き出した。
(使徒行伝3章1節~8節)
 
イエスの弟子であったペテロとヨハネが、生まれつき足の不自由な人を癒し、奇跡を起こした場面です。その1でもふれたように、彼らはイエスが言った通り、御名の権威が与えられていること知っていたので「私にあるものを上げよう」と言う言葉が出てきたのでしょう。やはりここでも、「イエス・キリストの名によって、歩きなさい」と名によって命じています。名前の権威を与えられている人には、このように権威を用いる特権が与えられているんですね。

この記述の後には、なぜこのようなことが起こるのか、が詳細に説明されていますので、そちらも見てみましょう。

「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。・・・
そしてこのイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられている信仰が、この人を・・・完全なからだにしたのです。」
(使徒行伝3章12節~16節)

ペテロもヨハネもはっきり言っています、自分の力や信仰深さではない、イエスの御名の権威と、さらに権威を信じる信仰がこの人を強くした、と。御名にある権威の力を、それを信じる信仰が引き出した、「イエスによって与えられる信仰が、この人を完全なからだにした」のでした。
 さすがに、イエスの御名のすごさは、敵も十分知っていました
この出来事があったあと、彼らの活動を快く思わない大祭司やその一族が、ペテロとヨハネを尋問します。そこでの質問はこうでした。

「あなたがたは何の権威によって、まただれの名によってこんなことをしたのか。」
(使徒行伝4章7節)

その質問に、ペテロは聖霊に満たされて言った、と続きます。

「皆さんも、またイスラエルすべての人々も、よく知って下さい。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、・・・ナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。」
(同じく4章10節)

そこで、大祭司たちはどうしたかというと、「今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを厳しく戒め」ました(同じく4章17節)。ここからもわかるとおり、敵(注:この場合は大祭司ですが、彼らの頑なな心を促した背後の力、闇の力、神に敵対する力を指し、大祭司そのものではありません)はどのようにすれば、こういった奇跡を起こらせずにすむかをよく知っていたので、まず「この名によって語らないように」させたのです。

イエスの名によって語る時に、神の力が現れる・・・しかしそれは、"イエスの御名の権威"と"それを信じる信仰"のどちらがかけてもダメなのです。

●イエスの御名を使う時、同じ権威がそこに働く=私はイエスの代理人!
私たちがイエスの御名を使うとどのようになるでしょうか、イエスはこのように説明しています。

「わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光を受けるためです。」
(ヨハネによる福音書 14:13)

と、はっきり、イエスご自身が「それをしましょう」と言っています。名によって求めると、イエスがそのために働いて下さるのです。さらに、このような言葉もあります。
・・・私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。
(ヨハネによる手紙第一 4章17節b)

イエスの御名の権威を与えられた私たちは、なんとイエスと"同じような者"、と神の目には見なされます。しかし実際にはイエスを受け入れる前と後と、たいして違わないじゃない・・・と思うこともしばしばです、しかしそれは目に見える部分を指してはいません、与えられた聖霊によって私たちの霊が生まれ変わっているはずなのです、神の霊が私たちひとりひとりに与えられるとしたら、その人を指して「キリストと同じような者」と言っても間違いではないんですね。ですから、私たちがこの地で、イエスの名によって求めることは、そのままイエスが天の父に求めたことと同じ、という事になります。これは、本当にすごいことです。

ただし先程もあったように、御名を信じる信仰によって、神の力が発揮される場合とされない場合がある、というのも事実です。その1で出てきました、「天においても、地においても、いっさいの権威」があることを知らず、ただ教えられたから、といって、まるで刺し身に飾るのツマのように「イエスの御名によって」と付け加えて言っても効果はありません。だからといって、すぐに信じられるような目に見えるものでもありません。ここに信仰の難しさがあります。またやみくもにイエスの名によって求めれば与えられるか、と言ったらそれも違います。私のつたない信仰生活上で学びましたが、基本的に神の御心にかなう祈りだけが聞かれて行きます。自分の利益や満足だけを求める祈りは聞かれません。あしからず。

●信仰にも訓練が必要です
自分の頭で理解しようとしても、はっきり言って無理です。理解をはるかに越えたことですから、頭ではなく、聖霊によって生まれ変わった自分の霊に、このことを言って聞かせる事が必要なようです。「 信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ 10:17)とある通り、みことば=聖書の言葉を自分の口で言って聞かせ、そのことばをじっくりと思い巡らす=黙想すると、ことばが自分の霊にしっかりと根づいて、信仰が強まって行く、ということなのです。今回取り上げた聖書の言葉のひとつひとつを、一日に1つずつでもじっくりと味わって行けば、必ず「御名を信じる信仰」が芽生えてくるはずです。そして御名によって求めれば、なんでもそれをしてくださるのですから、「このことをどうぞ信じられるようにしてください」と祈り求めて行けば、必ずそのようになっていくと信じます!
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  1. 2007/03/03(土) 11:02:14|
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Gospel Choirを指導して、早いもので丸12年が経ちました。まだまだ成長の足らない私ですが、精一杯みなさんと一緒に歌って行きたいと思います。日本のGospel Choir、がんばろう~~!

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