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A.F.M.活動報告

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隠れ場

今日は、B.F.P. Japanより毎月発行されている小冊子、「オリーブライフ」にあった記事からご紹介します。
http://www.bfpj.net/

私自身、最近ずっととても不安定で、常に後ろ向きで、こう・・何か目に見えないものに覆われているような、そんな状況がずっと続いてる中で出会った記事でした。一つの解決策を神様が与えて下さったような気がしたんです。私の好きな言葉でもある、「隠れ場」(= Hiding place) について解説されています。

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『いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る』(詩篇91:1)

   "隠れ場"とは、いったいどこなのでしょうか・・・。
   私はそこを訪れるだけでなく、住むものとなりたいのです。。

詩篇91篇の著者については意見が分かれていて、ダビデが書いた、という説もありますが、ユダヤの伝承ではモーセが書いた、と言われています。

ここで使われているヘブライ語の「隠れ場」は「セテル」という言葉で、意味は、
 ・山の中に潜む事
 ・ベールを掛ける事
 ・包み隠す事
 ・保護する事
 ・防御する事
 ・プライベート
 ・秘密の場所
などを意味します。

聖書の多くの箇所でこの言葉が用いられていますが、いつも「隠れ場」と訳されているわけではなく、
「御翼の陰に、身を避け」(詩篇61:4)
「のがれて来る者の隠れ家」(イザヤ16:4)などがあります。

「隠れ場」は昼夜を問わず、敵の攻撃から逃れる場所であると91篇は語っています。恐怖、矢、滅びも、隠れ場がある私たちは恐れる必要がないのです。しかし、迫害の下に生きたクリスチャンを思うとき、必ずしも神がご自身を信じる人々を危害から守られたわけではないことがわかります。これをどのように理解すればいいのでしょう。

最終的には、隠れ場とは、心の奥深くにある場所の事で、クリスチャンが殉教するとき、その人たちは誰の手も届かない隠れ場にいるのだと私は信じています。私たちは単なる肉体的な守りに注目しがちで、一見神の守りがないように思え信仰がぐらつくこともあります、だからこそ決して妨害も侵入もされない隠れ場に注目する必要があるのです。

●●隠れ場とはどのようなものか●●

1. 啓示と親密さの場所
  ※啓示:隠されている事を明らかに示すこと、驚くべき発見

聖書には、隠れ場がなんであるかを知っている多くの人物の例があります。

ユダヤの伝承では「隠れ場」を、シナイ山の頂でモーセが入って行った"雲"と同一視しています。(出エジプト24:18)おそらくモーセほど全能の神との親密な関係を経験した人はいなかったでしょう。

「見よ。わたしは濃い雲の中で、あなたに臨む。
 私があなたと語るのを民が聞き・・・」(出エジプト19:9)

この隠れ場は、神が話され、私たちが聞く場所です。そこは私たちが神を見、神と交わりを持つ場所です。

「モーセが山に登ると、雲が山をおおった。
 主の栄光はシナイ山の山の上にとどまり、雲は六日間、山をおおっていた。
 七日目には主は雲の中からモーセを呼ばれた。
 ・・・モーセは雲の中にはいって行き、山に登った」(出エジプト24:15-18)

モーセが二度目に神と過ごして山から降りて来た時、モーセの顔は光を放っていました。(出エジプト34:30)そこは神の御臨在の中であり、神の栄光を経験できる場所なのです。

しかし、この偉大なるモーセも、隠れ場の外側で自分の力に頼って行動した時、大きな過ちを犯しました。神はモーセに岩から水を出すために"言葉"で命じるように告げているのに、モーセは怒りを込めて岩を二度"打って"しまいました。(水は出たのですが)ここでは神のあわれみ深いご性質を民に示す事ができなかったのです。私たちも、隠れ場の外側に出て、自分の力で他の人々に神を伝えようとするとき、失敗してしまう事があるのではないでしょうか。

2. 恐れがない勝利の場所

羊飼いの少年として、羊とハープと共に、ダビデはほとんどの時間を一人で過ごしていました。そんな中でダビデは神との交わりをゆったりと楽しんでいた事でしょう、ダビデの詩篇から「隠れ場」における神との親密さが想像できます。

第一サムエル記17章で、ダビデがどのようにゴリヤテを倒したのか、読み直してみましょう。

ダビデはゴリヤテの大きさに少しもひるみませんでした。それどころか、ゴリヤテの不遜な態度に憤慨し、不敵にも神をあざけるとは!と語りました。

「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。
 生ける神の陣をなぶるとは。」(第一サムエル17:26)

このような状況に置かれたら、私たちはほとんど怯えてしまう事でしょう。しかしダビデは違いました。何千人もの人々が見守る中、まるでこんな経験が何度もあったかのように巨人の前に立ち、勝利を信じて疑いませんでした。この戦いは神に敵対するものとの戦いだったのです。

「私は・・万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。
 すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。
 ・・この戦いは主の戦いだ。
 主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」(第一サムエル17:45-47)

神に対するこのような信頼と勇敢さは、神と共に過ごす、あの静かな場所においてのみ成長させる事ができるものなのです。


著者:シャリーダ・スプリンクル(BFP出版局副編集長)
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  1. 2007/08/04(土) 19:45:03|
  2. Bible Study
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