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神に頼って踏み出す

創世記24章からのメッセージです。
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<今日の御言葉>
主は、み使いをあなたの前につかわされるであろう。創世記24:7
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年老いたアブラハムは、僕(しもべ)を呼び、
息子イサクの妻をめとる事について、二つの条件を出した。
一つは、カナン人からめとってはならない事、
二つ目はアブラハムの生まれ故郷へ行き、
親族からめとらねばならない事、であった。

生まれ故郷とはアラム・ナハイムであり、
そこはカナンからはるか北の遠く離れており、
メソポタミア文化として後世にまで名を残したけんらんたる
文化の都であった。そこからカナンのような不毛の地に
好んで来るような娘があろうか、僕はすぐに「はい」と
承知することができず、
「もしその娘がわたしについて来なければ、
あなたの子を生まれ故郷へ連れ帰るべきでしょうか」
と尋ねている、アブラハムは答えて、
「私の子を決して向こうへ連れ帰ってはならない、
天の神、主は私を父の家、親族の地から導きだして私に語り、
誓って、お前の子孫にこの地を与えると言われた。
主はみ使いをあなたの前につかわされるであろう」

アブラハムにとって「主はみ使いをあなたの前に
つかわされるであろう」事だけがたよりであった。
この事こそ彼の立ち所であったのである。

アブラハムはイサクをモリヤの山にともなった時、
「父よ、火とたきぎはありますが、燔祭の小羊は
どこにありますか」と聞かれて、
「子よ、神自ら燔祭の小羊を備えて下さるであろう」
と言った。この時も彼にとって神だけがたよりであった。

マリアが主の御告げを受けておじまどったとき、
主の使いは「神には、何でもできないことはありません」(ルカ1:37)。

また天国に入る事の難しさを聞いて、
「では誰が救われる事ができるのか」と弟子たちが
つぶやいたとき、主イエスは「人にはそれはできないが、
神にはなんでもできないことはない」と教えられた。
(マタイ19:26)

信仰とは神によって踏み出す事である。

それはただ主の助けによって始められる事である。
それに気づかず、恐れたり、煩悶したりすることは愚かである。
いつでも主は、信じる者の前に御使いをつかわして、
その歩みを助けて下さるのである。

(聖書 一日一章/榎本朗郎 著より)
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  1. 2007/12/31(月) 12:34:46|
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