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A.F.M.活動報告

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やっとエンジンかかった今年4月*その2

「私にはもう、何も望まないで下さい・・」そんな心の叫びを飲み込んで、人々の前で歌って、偉そうにもゴスペルの指導をしてきました。頭では「私は神様に愛されてるし、天国へ行ける保証もいただいた、神は私を見守って下さってる」ってわかっていても、心にはちっとも喜びがない・・それでも「神はあなたを愛してます!」と人々を前に歌わなきゃいけない・・切ないですよ~、これは。

なぜ私がゴスペルシンガーになんかなったのか?これは最大の疑問であり、ここがそもそも、全ての問題の出発点なわけです。なぜ私が選ばれたのか?もちろん、神様がお選びになったのですが、その神様の意志、選んだ意味が、私のようなちっぽけな人間にはちっとも理解できません。確かに、聖書には神の選びについて、

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。
すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
(?コリント 1:27~29)


とありますから、確かに聖書にある通りだというのはわかります。クリスチャンになってなかったら、ゴスペルシンガーになってなかったら、私はどうなっていたんだろう、と考えると、恐ろしいです。でも!いくらゴスペルシンガーといえども、人生に目標なり、生きる喜びがなければ、全てはむなしいというのは変わりません。実は、喜びも神が与えるものだ、という聖書箇所があるのです。

なぜなら、神は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びを与え、
罪人には、神のみこころにかなう者に渡すために、集め、たくわえる仕事を与えられる。
これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。(伝道者 2:26)

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。(伝道者 3:12)


以上の言葉は、ダビデ王の息子、ソロモンという方が書いた言葉ですが、彼は神から与えられた素晴らしい知恵の力と神への信仰を持ってこの世の全ての栄華をきわめた方でした。ですが、そんな彼もいつしか神を離れ、自分の欲をほしいまま満たしていく人生へと変わっていきました。それを経て彼は、「全ては空の空」であり、むなしいもの、そして「喜び楽しむ」ことこそ人生に必要なこと、その他には何も良いものがない、という言葉を残しました。

そう、喜びさえあればどんな状況にも耐えられると思いますし、生きる元気がわいてくる、私にも喜びが欲しい!といつも願って来た事でした・・が、心は空っぽのまま、その空っぽを埋めるべく、夢中になって聖書を勉強したり、祈りの方法を学んだり、信仰の先輩方にいろいろ相談して祈っていただいて、また賛美も力一杯して来たと思います、でも「喜び」は結局、神様がくださる以外、持つ事ができない事がわかりました・・・。

最終的には、とうとう歌が歌えなくなってしまいました(06年度始めから)。ゴスペルを歌うようになってから、歌えなくなる、というのは初めての事でした。私の仕事のベースはゴスペルを指導する事なので、指導者が歌えなくては仕事になりません、でも、何しろ歌いたくない、歌う気も起きない、体に力が入らない・・・メンバーの言葉曰く、魂を抜かれた人のようだったようです。自分でもどうしようもありませんでした。

そんな時、ちょっとした事がきっかけで、心配してくれたメンバーの何人かに心を打ち明けることができました、というのは、私自身から人を遠ざけていたので、自分からは話そうという気はおきません、でもちゃんと神様が人を送って下さって、向こうから声をかけてくれて、人を通して手を差し伸べて下さいました。その時には劇的な心の変化があったわけではないですが、1週間後ぐらいから「あれ?声が出る。歌えるようになったみたい」、そしてさらに「あれ?歌ってて楽しい!」という感じで、歌を通して喜びを感じるようになり、少しずつ回復していきました。(その裏に、たくさんの人の祈りがあった事は間違いないと思います)

今現在も、回復しつつある段階ですが、今回の試練を通して、あらためて人とのつながり、神が与えて下さった人間関係がなければダメなんだ、私が生きる上で必要な人を神様がちゃんと周りにおいて下さっているんだ、という事を学びました。そして、私がふぬけになっても心配してくれ、支えようとしてくれる人がいる事を知りました。人によって傷つき、もう一生誰ともうまくつき合えない性分なんだ、と、人を遠ざけていた私ですが、やはり人を通して神様が私を救って下さいました。私に喜びをもたらしてくれる人が、実はすぐそばにいたんです。劇的な事は何もなかったけれど、神様は私が意識していようがいまいが、いつも私のために働いて下さっている、必要はいつも備えていて下さるんだ、と思い知らされました・・・感謝(涙)。

そして、神が私をゴスペルシンガーとして選んで下さった、その意味も、また目的も、今はわからなくても、いつかきっとわかる日が来る、その事も今なら信じられる気がします。
  1. 2006/04/18(火) 11:47:51|
  2. testimony
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やっとエンジンかかった今年4月

年明けて、2006年度に入ったとたん、昨年の疲れが出たのか、年のせいなのか、いっきに体力的、精神的なダメージが吹き出しました。回復するまで約3ヶ月を要した今回の低迷期・・いったい何の意味があったんだろう、と考えて、まとめてみました。

ゴスペルを教え始めて丸8年、すでに9年目も半年が過ぎようとしています。だいたい一年の3分の1は歌ってるんじゃないか、っていうぐらい(・・いいすぎ?)ずっと歌い続けて来て、ゴスペルに全てを捧げてきました。今までを振り返ると、年を追うごとにスピードは落ちては行くものの、いつも全力疾走してた気がします。その分、プライベートと仕事の境目がなくなり、食生活もおろそかになり、ステージに立っている時の私とそうでない私のあまりのギャップに、一体どの私が本当の私なんだろう、と考えてしまう事も少なくありませんでした。

あまりにも自分の存在に喜びが持てなくなり、つらくなって・・というのは、周りの目から見た私をいつも意識しているせいで、自分の価値がいつのまにか人の目がいつも基準になっていて、実際は人が思うような私じゃない!、という気持ちに押しつぶれてしまいました・・泣いてしまったときに、友人に「これからは今までがんばってきた自分にご褒美で、気楽に、自分がやりたい事、楽しめる事をどんどんやったらいいよ」って言われた事がありました。その言葉はとてもうれしかったんです、重荷から解かれたような気がしました。・・・しかし、私は何をしたいのだろう・・それすらも頭に浮かんでこないぐらい、空っぽな状態でした。

sakura2.jpg
↑桜はいいな~、いつもきれいに花を咲かせられて、そこにいるだけで神様がケアしてくれる。
悲しみも苦しみもない。。私も感情を持たない植物に生まれてきたかったな~・・などと、
草木を見ては物思いにふけっていました。(暗!)


今まではあまり先まで考えず、与えられた仕事を一つずつ、祈りながら、誠意を尽くし、ベストを尽くしてやっていく、そんなやり方でやってきました。始まる前は、「自分にはこの大役は無理だよ~(涙)」という戦いが常にあります、でもとにかく祈って、現場に行けばなんとかなる、ぐらいの気持ちで向かいます、それは今でも変わりません(その戦いも結構ストレスになっているのかも)。しかし、いつも結果は神にゆだね、たとえ失敗しても、声が出なくても、神が用いて下さるならば、必ずそれは何かしら役に立っているんだ、っと信じてベストを尽くしましたし、実際、本当にその通りになったと思います。関わって下さった人からは、いつも「感謝します!」「素晴らしかった!」という言葉をいただきました。私も役割を果たせたときにはうれしく思いますし、神に感謝します!という気持ちになります。しかし、いつも気になるのが、その仕事を終えたときに、自分自身に何も残らない事でした。終わってホッとした、誰にも迷惑がかからないで良かった、期待を裏切る結果に終わらなくて良かった、という気持ちだけなのです。歌っているとき=賛美している時は本当に神様の愛を感じます、が、いったんその役割を離れると、あ~あ、疲れた・・・という、普通の仕事帰りのサラリーマン状態になってしまうんです。自分の賛美にも疑問を抱き、そんな自分がいやで、なるべく自分を見ないように、考えないようにしていました。

そんな事が少しずつ積み重なり、年とともに体の機能も衰えて、どんどんマイナス思考にはまっていきました。人の言葉にも敏感に反応しますから、ちょっとの事でもすぐに傷つきます、そして一旦「嫌だ」と思ったら、もうそれ以上受け付けることができない、そんな事が重なると、どこに行ってもなぜか私にストレスを与えるものだけに囲まれてしまい、逃げ場のない状態・・気がついたら聖書からも教会からも、神の愛からも離れ、人もどんどん遠ざけていきました。神に従って、ゴスペルにこれだけ尽くして来て、全力疾走で走ってきて、その結果がこれなのか!と失望しまくり、どこにも希望を持てなくなりました。(いや~、ほんっと、暗いですね、すみません・・)

今回ばかりは、ほんっとにだめ、一生立ち上がれない!と思っておりましたが、4月に入り、いつのまにか歌うのが少しずつ楽しくなって来ました。それまでは歌うのが嫌で嫌で、仕事にもかなり支障を来していましたが、歌う事で100%とは行かないですが、だいぶ気持ちが軽くなって来たのです。なぜなんだろう・・・。次回に、なぜ気持ちが上がって来たのか、を自分なりに振り返りまとめようと思います。いや~、長かった!!(文章も!)
  1. 2006/04/18(火) 11:45:06|
  2. testimony
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Chapel 献堂式~伝道師任命式 vol.2

伝道師なんて、遠い先の話だと思っておりましたが・・・やはりクリスチャンとなって10年目の今年、神様は思いも寄らない方法で私に大きな再スタートのチャンスを与えてくださいました。

●伝道師・・・遠い先の話だと思っていました

伝道:「救いの道を伝える」意。他者に対し個人的または公けにキリストの福音を伝達すること。またそのための教会の活動。イエス・キリストは復活後昇天 する際、弟子たちに「すべての国々に福音をのべ伝え、キリストの弟子とせよ」と命令され(大宣教命令と言う)、現在もすべてのクリスチャンに求められているが、日本においては特に困難を極めているもののひとつ。

と、クリスチャン用語解説には載っています。この活動を専門に行う人、またはそのように任命された人が伝道師、ということですね。私の今の活動はそのものなのです(ありがたいことに、私の収入は全てゴスペル関連です)、ゴスペルを歌う上で、その歌詞の説明は欠かせませんし、聖書の言葉を使う事もざらです、その中でキリストの愛を誰にでもお伝えしたい、というのはもちろんいつもありますし、そのことを大胆に言ってしまうのも自分の良い所だ、と思っていました。しかしやはり「伝道師」という言葉に少なからずプレッシャーを感じ、「それみたいな立場」ぐらいで、私にしてみたら十分だったんです。というか、これ以上の事を求められてるの?ぐらいに思っていました。

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  1. 2005/04/25(月) 12:04:15|
  2. testimony
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Chapel 献堂式~伝道師任命式 vol.1

いろいろなドラマを繰り広げてきたSt. Cousair Chapelの新会堂、素晴らしくできあがりました~。ハレルヤ!主の御名をほめたたえます。たくさんの人の汗と涙、さらに祈りと労働と献金と愛との結晶です。なんと麗しいのでしょうか(涙)。そして三水村では桜が咲き始めたこの美しい時期に、また穏やかな快晴、パーフェクトな天候の中で献堂式が行われました。また私、西村が伝道師としての任命式を行った日でもあります。

●まずはできあがった新会堂を、とくとご覧下さい!

chapel05_1.jpg
↑こんなに青空広がる快晴の日でした!

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  1. 2005/04/24(日) 11:53:17|
  2. testimony
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ついに「PASSION」 観に行く!

ついに、やっと観に行くことができたPassion! それはそれは感動とともに感激の一時でした。想像以上に素晴らしく、ドラマチックで、イエス様の愛あふれたお姿に胸を打たれました。監督のメルさんって、やっぱりすごいです。神様が選んだ大きな監督さんですね、心から感謝します!
passion1
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  1. 2004/05/28(金) 10:53:47|
  2. testimony
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Author:AKO
Gospel Choirを指導して、早いもので丸12年が経ちました。まだまだ成長の足らない私ですが、精一杯みなさんと一緒に歌って行きたいと思います。日本のGospel Choir、がんばろう~~!

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