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A.F.M.活動報告

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あなたにとって神は

本日もデボーションガイド「エマオの道で」より心に残った記事です。

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 神はモーセに仰せられた。
「わたしは、『わたしはある。』という者である。」
 また仰せられた。
「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。
『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」
(出エジプト3:14)



神学書は神を三人称の「彼」として説明します。
神は学ぶべき対象として紹介されているので、
神学書を読んで回心した人にはほとんどお目にかかった事がありません。

しかし神が三人称ではなく、一人称の「わたし」として理解するときに、
本当の回心に向かう道が開かれます。

神が私にとって「主」とならなければならないのです。

不幸な事に、大部分の人々は神を三人称の方として見ています。
しかし神を一人称で理解し、
顔と顔を合わせて、神と、相(あい)対するまで、救いはありません。

神は(上記の聖書箇所で)モーセに対して「わたしはある」という者である、
とご自身を現されました。

神はこのイスラエル人のリーダー・モーセに対してのみならず、
イスラエルの全ての人々に対しても一人称の関係を結びたいと思われました。

私たち一人ひとりにとって、神は三人称の方でしょうか、
それとも一人称の方でしょうか。


私たちは神について語り、神のために働き、神についての書物を読んでいるのか、
それとも神と語り合い、神と共に働き、神と共に聖書を読んでいるでしょうか。

私たちの人生には「わたしはある」とおっしゃる神が関わってくださるのです。

(「エマオの道で~365日の霊想」/デニス・F・キンロー 著)
  1. 2009/02/03(火) 14:27:40|
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愛への方向転換

「愛する者たちよ。わたしたちは互いに愛し合おうではないか。
 愛は、神から出たものなのである。
 すべて愛する者は、神から生まれた者であって、神を知っている。
 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」
(ヨハネの第一の手紙4:7-8)


神から離れるならば、あらゆる愛の根源である方に背を向ける事になります。
世界に存在するたくさんの宗教の中で、
愛を単なる行動ではなく、神の本質である、
と教えるのは、キリスト教だけです。
この方から目を離す事は、一切を治めている方に背いて迷い出る事を意味します。

社会の世俗化に拍車がかかれば、より暴力的になり、
互いを疎外し合うようになるのはさけられません。
これまでどうにか人間同士を結び合わせていた愛>という接着剤が
剥がれ落ちてしまったのです。

聖書によれば、愛とは自分以上に他者を思いやる事です。
報われる事がなくても愛し続けるのが愛です。
それは敵対する者にまで及ぶ犠牲の伴う愛です。
そのような愛は、神のみから流れ出てきます。


この方は、主イエス・キリストのうちにご自身を啓示されました。
そのキリストはご自分を十字架につけた人のために、
次のように祈られるほどの愛を示されました。

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、
 わからずにいるのです。」(ルカ23:34)


私たちが神から方向を転じるとき、それは愛そのものである方から
顔を背ける事になるのを忘れてはなりません。

今日、愛の御声を聞くなら、この方に方向転換しましょう。

(「エマオの道で~365日の霊想」/デニス・F・キンロー 著)
  1. 2008/12/18(木) 14:33:44|
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重荷を軽くする秘訣

今回はラジオ番組「聖書と福音」の高原剛一郎先生からのメッセージです。

人生の重荷・・・誰もがなんとかその重荷から解放されたい、と願いつつも、
その方法がわからない、と思っていらっしゃるのではないでしょうか。。。
このエピソードでは、そんな根本的な問題に光を当ててくださいました。

------
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
 わたしがあなたがたを休ませてあげます。
 わたしは心優しく、へりくだっているから、
 あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
 そうすればたましいに安らぎが来ます。」
 (マタイ11:28-29)


私は先日、ちょっと荒れた中学生と話をしました。
個人的に話すと普通の子なのですが、クラスではおとなしい子を
狙い撃ちにするいじめっ子なのです。

どうしていじめるんだ?と聞くと、
「ぐずぐずしているやつをみると、イライラするからだ」と言います、
なぜイライラするのか、と聞くと、
「ぐずぐずする事でみんなより目立ってるから、それでみんなの注目が集まり
 関心の的になる、それによって自分への関心が、
 彼の方にみな集まってしまうからだ」
と言うんですね。

これは、人は誰でも、認められたい、顧みられたい、人の関心を引きたい、
と願っている、という事ですね。私が泣こうがわめこうが、道ばたで倒れようが
誰一人関心を持つ事はない、と思うと人生やりきれなくなりますね、
少なくとも生きるのが重荷となってしまいます。

しかし、あなたを顧みる方はいつも生きていて、あなたをご覧になっています、
それは全地万物をお作りになり、この世界にあなたを送り出してくださった、
あなたの作者である神です。

人が人生にやるせない重荷を感じるのは、この神から離れているからです、
この断絶人生を聖書は「罪」と語っています。


<秘訣1.>
まず、自分の手に負えない罪の問題を一人で悩んでいても解決はありません。
キリストのもとへ行くのです、キリストはあなたを、
全知全能の神につないでくださる方です。

<秘訣2.>
キリストのくびきを負う=神の御心に生きること、で重荷が軽くなります。
私たちの人生の中で、変える事ができないものを変えようとする時、
人生は重く、苦しくなります。
しかし変えられないものの中に、神の使命を見いだして行く時、
変えられないものは神から授かったものだ、と受け入れる時、
人生は軽くなるのです。

ある障害を持つ子のお母さんが、精神科のドクターに質問しました、
「この子は幸せになれるでしょうか?」と。
ドクターは答えました、
「子育てには二つの喜びがあると思います、
 一つは子供が親の期待をかなえてくれる、という喜び、
 もう一つは子供が幸せになる事を喜ぶ、という喜びです。
 障害を持った子供の場合、前者の喜びはあまり期待できないかもしれません、
 でも後者の喜びは経験できます。
 障害を持った子供が幸せになれないなんて、絶対にありません。」

変えられない事を変えようともがくときの努力は不毛の努力です。
やればやるだけ疲れ果てて行くのです。
変えられない事の中に神の使命を見いだし、そこに生きる事によって
人生は軽くなるのです。

<秘訣3.>
キリストに学ぶ事によって人生は軽くなります。
キリストに習う事、キリストとともに生きる事によって、
神は人生の重荷を忘れさせてくださるのです。

私は先日、帯状疱疹になりました。後遺症がつらくて、
とうとう”ペインクリニック”という、痛み専門の病院に行ったのです。

診察の前に3ページに渡る問診票に答えを書き込むのですが、
その質問は体温とか、血圧とか、普通の質問以外に、
心理状態についてずいぶんつっこんだ質問が100以上続くんです、

・あなたは誰かの役に立ってると思いますか?
・あなたは誰かの幸せに貢献していますか?
・あなたは世の中のために役に立っていると思いますか?

どうしてこんな事を聞くんだろうとドクターに尋ねてみました、すると、
自分は誰の役にも立っていない、と思える時には、痛みが何十倍にもなる、
 肉体の痛みは心の状態によって軽くなったり重くなったりする。
 だから、ある肉体の痛みには鎮痛剤ではなく、向精神薬を使う事も
 あるんですよ」と教えてくださったのです。

ところでキリストに学ぶとはどういうことでしょう、
他の人に仕える人生を生きる、という事です。
キリストは神であられるのに、あなたの罪を背負って十字架にまで
かかってくださった方です、この方に習うのです。


人間は、自分だけが幸せになろう、と思っても本当の意味で幸せになれません、
誰かの幸せのために生きている、と思える時、
本当の意味での幸せを感じることができるよう、人は造られているのです。


キリストはあなたの罪を背負い、あなたに使命を与え、
あなたの傍らであなたに力を与えて、世の中に天国の風を吹き込む器として
くださる方なのです。

(聖書と福音 エピソードNo.451 重荷を軽くする秘訣 より)
  1. 2008/12/12(金) 14:37:36|
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自己実現ではなく

私たちの悩みの多くは、人との関係にあるんではないかと思うんですが、
その原因の、さらに根底の部分がわかったような気がしました・・・
------
「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、
 わたしのため、また福音のために、自分のいのちを失う者は、
 それを救うであろう」(マルコ8:35)

いろいろな問題の解決策を手にする鍵の一つは、
人間の持つ基本的性質を理解する事にあるのではないでしょうか。

私たちは神のかたちに創造され、
そもそも他者と切り離された存在ではありません、

いつでも"関係"という糸で織りなされた織物の一部なのです、
なので一人ひとりの決断は他の人に影響を及ぼします。

私たちはいつの間にか独りでに発生した者ではありません。
いのちは別の人のうちに始まり、結婚した夫婦の愛の結晶として育まれ、
食物にせよ、水や空気にせよ、とにかくいのちに必要な一切を
周囲の環境から受けています。
このように、私たちのいのちやアイデンティティーは、
他者のいのちの上に構築されているのです。

これはつまり、私たちがどんなに努力しても、
自己実現の中に真の満足はない、ということです。
真の満足は他者との関係の中にあるからです。
上記にあるキリストのことばは、まさにこの人間性を言い当てています。

では悪の問題については何を教えているのでしょう。

人々は自分の存在を認め、アイデンティティーを確立させ、
自己実現にプラスになるものとして人との関係を位置づけます、
そのような関係が壊れるときに、人は傷つきます。

加えて、自分の決断が広い範囲の人々に影響を及ぼす事を
見落としてはなりません、もし良い選択をするなら、
他の人々が成長したり向上したりする機会を提供しますし、
逆に悪い選択をすると、他の人々の祝福や成長の機会の扉を
ピシャリと閉めることになります。

そのようなわけで、さまざまな問題、悪の問題の解決は、
私たちが第一に位置づけるべき関係、すなわち、
神との関係を最優先事項として認識するか否かにかかっています。

神の御手によって創造された私たちは、
神との関係に生きる存在として造られているからです。


同様に、私たちはみな、二人の人間の愛し合う関係から誕生して以来、
母と父という親との関係が必要不可欠です。

神との関係、親との関係、そのどちらが奪われても致命的な打撃となります。
特に神との関係が失われてしまうとき、自分にとっても他者にとっても、
そこに待つのは死以外の何ものでもないのです。

もし私たちが喜びと自己実現を神との関係の中に見いだそうとするなら、
新しい自由を獲得します。
そして、その新たな自由によって隣人への恵みの扉を開いて行きます。

私たちが一貫して、自己犠牲的な愛を土台として行動して行くなら、
社会から悪が減少し、隣人を縛る鉄の支配力も失われて行くでしょう。

(エマオの道で~365日の霊想~・デニス・F・キンロー著)
------

う~ん・・・かなり難しい内容ですが、考えさせられました。。。

大抵の諸問題、また悪と思われる問題の根底には、
必ず人間関係の問題、果ては親子関係、さらに神との関係に問題に端を発する、
その仕組みのような部分に気づかされた気がしました。
確かに私たちは、他の人の上に成り立ってるんですもんねー・・・

そして最後の「隣人を縛る鉄の支配力」という言葉、
ずっしりと心にのしかかりました。。
そう、私たちって知らないうちに、自分の思い通りに周りを動かそう、
と考えてるかもしれない。。
それがエスカレートすると「支配」になってしまうんでしょうね。
でも別に悪気がない、という所がまた困ったもんで・・・難しいですな。

そこから脱出するためには、
「自己犠牲的な愛を土台として行動する」
これに尽きるな~、とあらためて学ばせていただきました。
日々、自分自身に言い聞かせて行きたいと思います。感謝!
  1. 2008/11/18(火) 14:47:22|
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神様のジレンマ

実は昨日・・・かなり衝撃的なテレビ番組を見て、ショックを受けました。
見られた方もいらっしゃるかもしれません、NHK BSでやっていました、

ヒロシマナガサキ~白い光黒い雲 あの夏の記憶~

という、原爆投下やその被害に関するドキュメンタリー番組です。
心の深い深い所にまで何かがずしっと重くのしかかりました。
映像ももちろん衝撃的でしたが、そのような大きな悲劇をもたらした核爆弾、
広島・長崎と同じ破壊力の爆弾が、今、全世界で40万個ほどあるのだそうです。
(もし数字が間違っていたらごめんなさい)
大きな衝撃でした・・これが現実なのですね。
そしてつくづく、私たち人間はなんと罪深い存在なのだろうかと、
心が申し訳ない気持ちでいっぱいになり、涙が止まりませんでした。

そんな中でふと、聖書のある御言葉が思い浮かび、心に刺さりました。

主は心の中でこう仰せられた。
「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。
人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。
決して再び私がしたように、
すべての生き物を討ち滅ぼすことはすまい。」

(創世記9:21)

これは、あの有名な"ノアの箱船"の箇所にある言葉です、

「地は神の前に堕落し、暴虐で満ちた」(創世記6:11)全世界に対して、
神様の裁きとして大洪水が地を襲います、が、その中で、
神様からの言葉に従い、箱船に乗ったノアとその家族8人だけが生き伸びます、
そして全地から水が引き、ノアがほぼ1年ぶりに箱船から出た後に、
祭壇を築き全焼のいけにえを捧げました。上記の箇所はその時の神の言葉です。

最近のハーベストフォーラムはずっと、ノアの箱船の箇所でした。
その中で学んだことです。↓
------
人の心が悪で満ちた、そのために神は生き物を滅ぼされたのに、
やはり人の心が悪であるから、もう滅ぼさない、とは、どういうことでしょう?

ここに神様のジレンマがあります。

例えば、ある親に子供がいて、その子がドラッグに手を出してしまった、とします、
いくら言っても止めないので、この子を救うために、と親が警察に通報します、
その子は捕まり、実刑判決を受け刑務所に何年か入ります、
その間に更生してくれるだろう、と親は期待しますが、
出て来たとたんにまたその子がドラッグを手を出してしまった、とします。

その時、親はもう一度警察に通報しますでしょうか?
親ならば同じ方法を取らず、別の方法があるならばその方法を取りたい、
と願うはずです。
もしくは、私が身代わりになって刑務所に入りたい、と思うかもしれません。
それが親心というものです。

大洪水によって生き物を滅ぼしたのは、神の義を示すためのものでした、
しかし一度大洪水を起こされた神様はそれ以降、再びはしないと約束され、
その変わりに、恵みと憐れみの方法を取ることをお決めになりました、

もはや洪水で人を裁くのではなく、
神のひとり子イエスを裁くことによって、
人類を愛と恵みによって救おう、
とお決めになったのです。

神の義と、神の愛とが交差するところに、十字架があるのです。

(ハーベストフォーラム東京 創世記15/中川健一先生より)
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このノアに対して結ばれた約束の"しるし"として与えられたのがです。
その約束が今でも有効なのは、虹が見られることでわかるんですね。

人が悪の力に操られると、とてつもないことも平気でやってのけます、
しかし神様はその悪は憎んでも、人に対しての愛と憐れみは変わりません。
その視点に私たちも気づくべきだなーと思わされます。

もちろん神様は、この原爆の悲劇も、
未だにその傷で苦しんでいる一人一人の体も心も、
そして核爆弾が40万個も存在していることも、ご存知なはずです、
どれだけ神様は心を痛めておられるでしょうか・・

ノアと家族が箱船に入る事によって、大洪水から救われたように、
その戦争の悲劇、という大洪水から、一人でも多くの方が、
イエス様の十字架による"箱船"に乗って、
その痛み・苦しみから救われ解放されますように、と、心から祈ります!

もう二度と、同じ悲劇が起こりませんように!!!
genbaku



� HBO DOCUMENTARY FILMS

  1. 2008/10/14(火) 14:08:59|
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Author:AKO
Gospel Choirを指導して、早いもので丸12年が経ちました。まだまだ成長の足らない私ですが、精一杯みなさんと一緒に歌って行きたいと思います。日本のGospel Choir、がんばろう~~!

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